猫も杓子も。

わかりあえない、なんて知ってるわ。

磐余の池に鳴く鴨を

 

 

3回生にもなると暇なときってほんとないなと思う。

 

4月入ってから、ゼミでの踏査2回とその報告が2回、それだけで1か月はつぶれた。

 

GW一瞬だけ休んだけど、明けてからは就職ガイダンスだったり、インターンシップガイダンスがあったりして。

 

今度は、ゼミ旅行のパンフレット担当を今日言われるし、同時にゼミでの個人発表が控えてるからそれの準備。

 

1か月切ったTOEICの勉強。

 

あ!あと、ゼミ旅行で行った先の大学との交流会で、15分で発表してと頼まれるし……。 

 

今回はそんななか、少しずつ読んでいた『死者の書』の話。

 

 

 

彼の人の眠りは、徐かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、さらに冷え圧するものの澱んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。

した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫と睫が離れて来る。

 

 

という冒頭で始まる物語。

 

ここで目覚めたのは、滋賀津彦。一般的には、大津皇子と呼ばれる人。

 

686年の天武天皇崩御後に、草壁皇子との政争に敗れ、自害に追い込まれた。

 

そしてその亡骸は、河内と大和の間、二上山に葬られた。

 

この小説のもう一人の主人公が、藤原郎女、中将姫と呼ばれる人。

 

滋賀津彦が呼びかける耳面刀自は、郎女にとって祖父南家武智麻呂の叔母にあたる。

 

郎女は、阿弥陀経の千部写経を発願し、西の空に御仏の姿を幻視した後に、千部写経を成就する。

 

そして、そのまま二上山へと徒歩で夜通し向かう。

 

しかし、女人禁制のため、咎められ、その償いのためにとどまることを決心する。

 

その間に、蓮糸で曼荼羅を織り、それがいまも当麻寺に伝わっている、という話。

 

 

語り口は平易でなく、構成も時系列順ではないため難解だった。

 

しかし、この小説内で使われる言葉でもって、あの世界が豊かに広がりをもって展開されていると思うし、現代言葉遣いであったらそこまで引き込まれていなかったと思う。

 

古代の息遣いが聞こえてくる小説だった。