「あの時」を振り返る。
もう「あの時」から4年の歳月が経つ。
当時、高1だった私は大学3回生目前に。
ちょっと自分のなかで「あの時」を振り返ってみたくてこのentryを書いた。
雑記は雑記であるので悪しからず。
確か、すでに定期考査は終わっていて、残りの授業は午前だけになっていた。
そのため、昼食を食べ、13時から部活に行っていた。
高校に入り、紆余曲折あって私は吹奏楽部に入部していた。
この日も部活で、久々に外練しようとなった。
外練とは、4階の屋外渡り廊下で練習すること。
教室から椅子を運んだり、譜面台を立てたり、楽器を持ってきたりして。
さあ、練習始めようかぐらいだったと思う。
最初は、風のせいで若干揺れているのかと思った。錯覚かとも思った。
けれど、どっちも違っていた。揺れているのはあっていたけど。
まさか地震だとは思わなかった。
どんどん揺れが強くなっていくし、すごく長いなとも思った。
この時は不謹慎ながら、少し興奮してしまい、思いっ切り揺れる楽器を抑えていなかったため先輩に怒られた。
この後のことを詳しく覚えていないんだけど、放送があったかで校内にいる生徒は全員校庭に避難した。
自慢じゃないけど、うちの高校は校庭がだいぶ広いので、窓ガラスが割れたとしても平気だった(割れていないけど)。
校庭避難したはいいけど、グラウンドがまだ揺れている感覚がするのと、いろんなとこから様々な情報が飛び込んでくるおかげで少し頭がくらくらしていた。
この時、部員のことも考えていてけど、やっぱり頭の半分ほどは福島に住んでいる従兄弟(父の実家でもある)家のことが占めていたかもしれない。
しばらくして、近所の人たちが避難してきた。
2時間か3時間位校庭にいたけど、寒いし暗くなってきたので帰宅命令が出された。
正直これには困った。電車が運休している。
いくら生徒の7~8割が自区,近隣区から自転車とはいえ、電車通学もいるんだし……。
そんなこと言ってもどうしようもないので歩いて帰ることにした。
ちなみに学校から家まで歩くと2時間半くらい。甘ったれるなと言われてもきついものはきつい。
某JR駅経由で友達2人と一緒に帰った。1人は自転車。もう1人は隣の駅まで徒歩。
なんと、自転車の友達が家近所だからと言って自転車を貸してくれた。
最初は多分断った。はず。憶えてないけど。
助かったー、と思った。やっぱり歩いて帰宅は嫌。
で、隣駅まで行く友達がいるから、そこまでは一緒に歩いた。
某荒川の橋を渡るのだけど、ただでさえ狭い歩道が人であふれていた。
対岸からも人がどんどん渡ってくる。橋が壊れていなくてほんとよかった。
この後、橋を渡って友達と別れて、借りたい自転車に乗り帰宅した。
自転車、ほんとうありがとう。
帰宅したら、母に、よく帰ってこれたねと言われた。
家での落下被害は皆無だった。奇跡。
皿とかたくさん割れているかと思ったけど、運よく揺れの方向と食器棚の向きが違っていた。
時計だけ壊れた。
なので、夕飯は普通に食べた気がする。ニュース見ながら。
父も無事帰ってきたし、ほんとよかった。
夜は怖くて寝られなかった、とかは全くなかった気がする。
もともと、3/12は卒業式で吹奏楽部は学校行かないといけなかったが、こんなことが起こってしまったので延期に。
そういえば、この時卒業した、tubaの先輩は元気なのかとふと思ったり。
まったく連絡をとっていないので。
暇になってしまったので、友達と葛西臨海公園まで自転車で行った。
ほとんど人はいなかった。当たり前だけど。
あとはもうほとんど憶えていない。私の記憶力でこれだけ憶えていたことが奇跡に近い。
GWには、5年弱ぶりに福島の従兄弟家へ遊びに行った。
離れの屋根が少し崩れていたくらいだった気がする。
祖父母もみんな元気でよかった、と思った。
4年も経つと結構忘れていたりするもの。
私の3.11の記憶をここに刻んでおく。