猫も杓子も。

わかりあえない、なんて知ってるわ。

死人に山梔子。

 

 

 

 

 

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 演劇と映画は、一見すれば似ているように思われる。しかし、その本質を突き合わせてみれば両者の違いははっきりする。演劇において重要視されているものは、<いま―ここ>的な性質であろう。それはそれが存在する場所に、一回的に在るという性質であり、オリジナルな真正さという概念を形作る。またこの性質は、アウラとも結びついている。映画は、断片的なものの集合である。ここではアウラは脱落する。重要なのはアウラをまとう「肉体」である。人間であろうとロボットであろうと、肉体が存在することで、演劇は演劇であり続ける。