清心。
大学を卒業した。
京都に来て4年。
ちゃんと4年で卒業してやりましたよ。母上。
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この4年で一番(は言い過ぎかもしれないけど結構)言われたのって、「なんで京都に来たの?」だと思う。
なんで。
家を出たかった。
と、たいていは答えていた。
これは嘘じゃない。
家は出たかった。狭いし。部屋を片付けられない人たちだし。
それと、生活力をつけたかった。
こっちが本音。
実家にいれば、ご飯は出てくるし、洗濯してくれるし。なんなら朝起こしてくれる。
でも、夢に描いた18歳以降を、そんなんで暮らしていていいのかと考えたりもした。
けど、そんなこと言えないので、日本史勉強したいから京都行くと、もっともらしく説得して、一人暮しを勝ち取った。
そんなこんなで、京都行きを目標としたわけだけど。
今の大学行けるとは微塵にも思っていなかった。
学力がね、全然足らなかったわけ。
模試の判定はDとか。
まぁでも奇跡は起こるもので。
ボーダー+2~3点上という、ぎりぎりのぎりぎりを叩き出して、合格。
直前に見てた、戦時中あたりの超マイナー社会主義政党名が合っていたのは憶えている。
そんな感じで、日本史の点数が割合よかったことが幸いしたと思う。
自慢じゃないけど(否、自慢!)、あほな高校だったので、進学先としては結構上の方だったと思う。
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晴れて大学生。
いろんなサークルがあるのに。
選んだのは吹奏楽。
最初つまらなかった、という話は上記事参照。
4年もあれば出会いもあるし、その出会いより多く別れもあった。
まだここ見てたら、殺されそうな気もするけど。
最初、遠距離恋愛をしていた。
他の子らなんか全然興味出なかったのに。
結果、駄目でした。
私のせいですね。
あと、別件で友達も少し失いました。
自業自得。
やっぱりあれ。
男女の友情とかはない。
うん。
もう少し経ったら、すべてとは言わないけど。
振り返ればいい思い出、になるのかな。
そこに至るまでの、道はとてつもなく長そうですが。
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京都。
いいとこだったと、ほんとに思う。
大学生を、京都で過ごせてなんだかんだ充実してた。
空きコマとか、なんなら授業さぼってお寺行ってみたり。
観光客多いわ!とか文句たれながら、春夏秋冬×4年、移り行く景色やそのときどきの食べ物を堪能した。
思い出に浸って、昔はよかったというのは簡単とか言うけど。
その思い出をつくるのって、意外と大変なんだなと思う。
昔語りは老害認定されたりするけど。
それでも、そこに行きつくには並大抵の苦労はしてないはず。
京都の思い出をうまくまとめられていないので、気が向いたら書きたいと思っている。
決して、老害じゃないので。
生温かい目で読んでください。